なべてよはこともなし

ジャニオタの日記帳

これがヒューマンストーリー

 応援しているアイドルグループから大事なお知らせが届いてからというもの、落ち着かない日々を過ごしている。バスに乗っても泣いてるし電車に乗っても泣いている。

 原因はわかっているのだ。通学途中も、帰路につくときも、今みたいにどうしようもない現実に打ちのめされたときも、つい癖で聴いてしまう彼らの歌が好きすぎて。だから余計に寂しくて、目から出る熱くてしょっぱい水を止められない。

 グループの歌を支えてきたすばるくんが脱退してしまう。涙ながらの会見からずっと、その事実を受け容れられない。自分の中の関ジャニ∞は時間が止まったままなのに、現実は残酷にも変わろうとしていってしまう。

 

 どうして、と問うと同時に納得もしてしまう。すばるくんだからな、音楽を愛して音楽に愛されているものな、と。むしろ音楽の神様が今まで彼をアイドルの世界に貸しておいてくれたんじゃないかって感謝してしまうくらい。

 

 私たちは人間だ。生きていれば肌に合わないことだってそりゃあもう星の数ほどある。まだまだひよっこ人間の人生の中でも、職場が、仕事が、働き方が合わなくて転職をする人達を幾人も見たし、私はその人達のことを肯定している。やりたくないことをやらなきゃいけなくて、でもやりたいことができないことがどれだけストレスに成り得るか想像することはいとも簡単にできてしまう。その人がストレスで壊れてしまう前に逃げちゃっていいよって思ってしまう。その人が大事だから。幸せになるための努力は惜しまないでほしいと思うから。

 

 アイドルだって人間だ。だからアイドルだって転職をするのだ。夢に向かう第一歩として彼の脱退を前向きに受け容れたい。受け容れたいけど、それをするには好きになりすぎてしまった。大好きだから応援したいけど、大好きだから寂しいし気にかかる。大好きの反対語はやっぱり無関心なのだろうなとこういう時に身に染みる。

 

 もう7人声を合わせることはないし、ギター3本での演奏も、三馬鹿が並ぶ姿を観ることも、好きだった光景は全部全部過去のものとなるのが、悲しい。これから先、6人になっても、私たちが大好きだ、応援したい、ついていきたい、と惚れこんだ7人の関ジャニ∞をなかったことにはしないでほしい。

 

 アイドルじゃなくてもいいから、関ジャニ∞でいてほしかった。なんならジャニーズやめちゃってもいい、関ジャニ∞じゃなくてもいい。別の名前でも形態でもいいから7人で活動してほしかったし、7人で笑っていてほしかった。またいつか

 

 今まで2次元のアイドルに現を抜かしてきたから、ここにきて3次元のアイドルを好きになる覚悟を突きつけられているのだなと感じる。彼らも私たちも、どうしようもなく、生きているのだと。生きている限り毎日もはや毎秒ふるまい方を選択するし、本人に選ばれた最善を他人のわがままで、勝手な一存で変えてしまうことはあってはならないのだと思う。

 誰もが物語が都合よく動くよう作り込まれたキャラクターでもなければ、みんながみんなハッピーエンドになる脚本もないこの世の中で。悲しいかな無力なオタクは今日も、どうか大好きな彼らが幸せでありますようにと願うことしかできない。